「ベニスに死す」で一躍アイドルになったビョルン・アンドレセンが来日

2018年4月。ルキノ・ビスコンティ監督「ベニスに死す」(フランス/イタリア作品)で、ダーク・ボガードの相手役として抜擢されたスウェーデンの少年、ビョルン・アンドレセンが1971年の2度の来日以来、47年ぶりの来日を果たした。

「ベニスに死す」に出演し、1971年のカンヌ映画祭で注目を浴びたビョルン・アンドレセン。「世界一の美少年」として日本でもまたたく間にトップアイドルになり、集英社「週刊明星」の企画で何回かグラビアをかざった。(撮影はストックホルム在住の著名な写真家、カリー・ラッシュ。)

「世界一の美少年」に恥じない美少年ぶりに電通、明治製菓も関心を示す。明治製菓のコマーシャルへの企画が持ち上がり、出演交渉は私が担当することとなった。

こうしてビョルンの初来日が決まった。両親を失い、祖父母と暮らしていたビョルン少年は、祖母と映画配給元であるワーナーの社員と3人で初来日した。

あれから約半世紀の時を経た2018年4月初旬。当社のホームページ宛てに届いたメールのなかに、ビョルンのドキュメンタリー映画に関するものが何通かあった。日本人のコーディネーター、ドイツ語の通訳、そしてスウェーデンのドキュメンタリー映像作家、Kristina Lidstromからだ。

「1971年にビョルンの来日をアレンジした関氏と思いながら連絡します。現在ビョルンの人生についてのドキュメンタリー・フィルムの制作を企画中です。ビョルンがあなたにとてもお逢いしたいと望んでおります。4月7日にビョルンと来日の予定です。映画の企画書を別におくります。あなたが探している関さんか否かをお知らせください。」

ビョルンの名をgoogleで検索して、まだまだコアなファンがいることを知った。その日の午後、コーディネーターから電話が入り、ビョルンと会うことが決まった

4月11日、日比谷帝国ホテルのロビーで監督、アシスタント、音声、カメラ、そしてコーディネーターと会った。

上に部屋をとっているとのことなので、7階の部屋に昇った。

ビョルンは外を散策中で、少し遅れてくるとのこと。

私は持っていた杖を部屋の隅に置き、ソファにかけて彼を待つ。

やがてドアがノックされ、長身、長髪、ひげの男性が現れた。

ビョルンだ。もちろん、年なりの姿だ。

どちらからともなくハグ。カメラは音もなく回る。

やがて、音声がピンマイクをつけてくれた。

彼は語る。 「日本への思いは強かったけれども、15才だった当時は何が起きているのかを理解するよりも早いスピードで周囲が動いていた。やがて年をとるにつれて、あの時ずいぶん迷惑をかけたのではないかと思いはじめた。できたらまた日本を訪れたいと思っていた。」

今回監督のクリスティーナからこの企画を持ちかけられた時に、ビョルン自身が「東京に行きたい」と説明して、受け入れられたとのことだ。

彼が日本に行きたいと思っていたことは、わたしにとって嬉しいことだった。

しかし47年前の2度の来日以来、彼がメジャーな作品に出演したとの情報は一切なく、明治製菓のCM契約も延長されることはなかった。

当時彼をマネージする組織も個人もなく、一学生のビョルンがそのまま有名になり、去っていったのだ。

今回このような企画がたちあがり、ビョルン本人のナレーションで、劇場、テレビ、DVDで映像が流れるとは日本では考えられないことだろう。

これがキッカケになり、彼が再浮上するなら、大変喜ばしい。

その時のスナップ写真などを下記にアップします。まだビョルンを記憶しておいでの方々がいるなら、時の流れを感じられるのではないでしょうか。(M. SEKI)



(c)Chika Yoshida



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